ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)


読んだ本の内容を引用メインで自分のために記録してきたわけですが、たまに「自分の子供が大きくなったら是非よんでほしいな」と思うことがあります。


その時に役に立つかどうかわかりませんが、親が子供に本を薦めるというのは、Amazonとは異なるロジックでのレコメンデーションとなるはずで、それは結構おもしろいのではないかと。


単純に父親からのメッセージを嬉しく思える日は、いつか必ず来るだろうしね。


最初はうまくいかないだろうけど、まぁ試してみましょう。


ここから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小澤征爾さんを知っていますか?


その前に、あなたは流行りもの以外の音楽を聴いていますか?


残念ながら私もあなたの母親も、そこまで拘って音楽を聴くタイプではありませんでした。なので、あなたが自ら進んでクラシックやジャズに傾倒しているというのは、今のところ想像できませんが、どうですか?


で、小澤征爾さんというのは、わたしには適切に形容することができないほど偉大な人物ですが、日本が世界に誇る指揮者であることぐらいは、あなたも知っているでしょう。


「ボクの音楽武者修行」は、その小澤征爾さんが24歳のときに単身ヨーロッパに渡るところから始まる旅の記録を本にしたものですが、何とか26歳の時に書いたそうです。なので初版は昭和37年!


彼の音楽家としての素晴らしさを理解できていない状態ではありますが、そんなの関係なく楽しく読めます。


内容のサマリーはネットで調べてもらえればいいんだけど、ざっくり纏めると「色々と苦労しながらも2年少しの間に色んな指揮者コンクールで輝かしい成績をおさめて、その結果が世界的な音楽家に師事する機会につながり、さらなる成長を遂げていく。」みたいなお話。


ここだけを見ると華麗かつ超人的なサクセスストーリーの本のような印象だと思いますが、実際に読んでみると全然ちがうんですよね。


すごく泥臭くて人間らしい。音楽とか関係なく、その生き様の偉大さを感じてしまいます。34歳の私が、24歳の彼に圧倒されてしまうなんてのは残念なことである一方、なかなか幸せなことでもあります。


わたしの生きている時代だと、サッカーとか野球の分野で日本人が続々と海外で成果をあげつつありますが、それより何十年も前に、こんなにすごい人が世界で活躍していたということに素直に勇気づけられたりもします。


ナチュラルというか大ざっぱな文体ではありますが、彼のような感受性あふれる人間が旅する中で感じたことは、きっとあなたの感性にも刺激を与えてくれると思います。


そうだなぁ。小学校高学年か中学校ぐらいで読んでくれると視野が広がっていいんじゃないでしょうか。こういう本を読むのに、早すぎるということはないでしょうからね。


あと、これを読んだら小澤征爾さんの音楽に興味を持たないわけにはいかなくなると思います。トラディショナルな音楽の世界へ飛び込むきっかけとしても、是非、この本を手にとってみてください。そして色んな音楽に触れてください。


とりあえず何枚かCDを発注してみましたので一緒に聞きましょう。1歳9ヶ月のあなたのほうが、聴く力はありそうですね。



ちなみに、わたしはこの本をAmazonMarketpraceで\1で購入しました。もっとお金を払ってよい本だ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで。


いやいや、これは大変だ。


息子に手紙を書いたこともないのに、これはなかなかしんどい作業だ。ということは、なかなか意味のあることかもしれない。しばらく継続してみよう。




メモ:

  • P.23 大人になるということは、度重なる経験のために次第にこうした体の震えるような新鮮な感激が薄れ、少なくなることだそうだが、もしそれが本当なら寂しいことだと思う。
    • 健康を維持するためにフィジカルトレーニングが必要であるように、心がけを維持するためにエシカルトレーニング(?)が必要であるように、感激に対してセンシティブであるためにはどんなトレーニングを行えばよいのだろうか。


  • P.61 宿舎に帰る途中に花屋の店がある。ぼくはよほど嬉しかったのだろう。思わず花屋の店頭に入ると、ひとかかえの花を買った。そして部屋に帰ると、すぐさま花を美しく飾った、よその国の花に取り囲まれながら、たったひとりで、ぼくは今日の幸福をしみじみと祝った。


  • P.172 日本にいたら十年も交際しなければ生まれないような親身な友情が、外国では数日で芽生える。それだけ普段が孤独なのかもしれない。


  • P.182 いよいよニューヨークに行くことになってみると、ある種の緊張を覚える。神戸で船が港を出たときにも、波止場で大きく手を振っていた兄貴の姿が見えなくなったときにも、これと同じような気持ちに陥った。いや、まだある。マルセイユで一人になり、スクーターを走らせ始めたとき。ブザンソンのコンクールを受けに行くため、一人でブザンソンの駅に降りたとき等々。いくらいろんなことを経験したつもりでも、緊張がそのたびに新たなのは不思議だ。


  • P.202 その国のオーケストラを聞くと、全くその国の気質と同一のものをそこに見ることが出来る。ソロの音楽家を聞くとそれがはっきりしないのだけれども、オーケストラだと、まずその国の国民性とオーケストラとの間に相違があったということを、ぼくは覚えていない。
    • ここでフランスとドイツの比較に1章ほど紙面を割くわけですが大変秀逸。昭和37年時点でのアメリカと日本の位置づけについても語られているが、その後どのように形作られていったのかは私には分かりません。


  • P.226 日本の音楽会について気になることは、欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいいということ。それ以外のことを何も心配する必要がない。ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ、これらのことを無視しては世に出られないということである。それだけ日本が最貧国であり、音楽のマーケットが狭く、音楽ファンが少ないからだと言うことも言える。
    • 24歳でそこまで悟れるものだろうか。それにしても、音楽をRFIDと置き換えても面白い。