アーキテクチャとクラウド―情報による空間の変容
- 作者: 原広司,池上高志,吉村靖孝,塚本由晴,藤村龍至,柄沢祐輔,掬矢吉水,森川嘉一郎,南後由和,大山エンリコイサム
- 出版社/メーカー: millegraph
- 発売日: 2010/10/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「アーキテクチャとクラウド」だけみるといかにもIT系なノリなんですが「情報による空間の変容」ってサブタイトルが入って一気に期待度max。
何かのヒントを求めて手に取ったんだけど、間あけすぎて何を求めていたのか忘れた。まぁ結果として決定的な何かを見いだせていないので無問題。なのか?
「情報環境のアンビエント化・インフラ化が、地球規模でスピーディに進行し、生活やコミュニケーションのあり方、内面の領域にまで深く関わりつつある中で、建築・都市・空間はどう変容していくのか」みたいな内容。
都市空間の変容を情報空間の切り口から色々と論じていくわけですが、複数の対談企画を併記していくアプローチが良くも悪くも統一的な理解を妨げる。というか流れを理解するだけのバックグラウンドを持ち合わせていない非力さを嘆くしかないというのが正直なところか。
どうしたらビジネスになるかな、とか近視眼的に機能論的にモノゴトを考えてしまいがちなのですが、ちょっとそういうレベルでは太刀打ちできないなぁ。この本では色んなバックグラウンドの方がそれぞれの専門性から解釈を加えていくんですが、そこに明確な問題意識とか決定的な解決の方向性は示唆すらされていない。と感じた。
切り口とか単語の意味解釈的に楽しめる部分はあるんだけど、基本的にはそれで?って感じになってしまう。あくまで彼らは表現者、あとは受け手のレベルに依存する。
こういうインプットを受けて、ピピっと自分の文脈に置き換えてフィードバック返せるようにしたいね。できてた時期もあった気がするんだけどね。修行あるのみ。
メモ:
- P.14 集落は均質空間と違って新自然的な建築ですが、均質空間から構造的に変わる空間概念は何か、という難問は残ります。中略。メキシコのマリーラという集落。家の周りの半径50mぐらいに必ず隣の家が入っている。中略。半径50mを近傍とした連鎖があり、私たちが訪れると、そのことが言葉とか手振りで一瞬にして集落中に伝わってしまう。つまり、今でいうコンピュータや通信デバイスを家の中に持っているようなイメージです。
- P.25 「錯乱のニューヨーク」にはエレベータのくだりがありますね。高層ビルによってエレベータが生まれたといわず、エレベータが摩天楼をつくったと言い直しています。同様に、モータリゼーションと郊外、郊外と情報化、情報化とグローバリズムなど、都市のモードと技術革新の共犯関係は続いています。
- P.26 コンテナには一個一個のモノとして建築的意味は無いけれど、そのマネジメントの仕方にアーキテクチャがあると言えます。大型船パナマックスが輸送というパフォーマンスを最大化するためのアーキテクチャだとすると、流通のどこかに居住など定着のモードを滑り込ませることもアーキテクチャなのかもしれません。
- P.44 かつては身体が空間を動くと、同心円状にというか、皮膚の外側に皮膚がさらに出来ていくような感覚がありました。認知エリアが広がり、身にまとわれていくように、自己の移動と認知の地図が重なります。ところが今は、どこかへ行く前にGoogleなどで見ているので、認知空間が独立して発生し、移動と重なりません。そして認知空間同士が接続されない。僕らはすでにある種の統合失調的な認知で生きています。
- P.97 都市空間のあらゆるインフラは通常、既にそこにある不動のモノとしてアプリオリに存在し、僕たちはしばしばそのあり方や使用法を疑わずにいます。よく指摘されることですが、カフェにおける空調の設定や、路上の立て看板による導線誘導など、都市のインフラ、またはそれに準ずるような環境操作によって、都市利用者の行動様式が知らないうちに規定されてしまう場合もあるでしょう。