在日の恋人

在日の恋人

在日の恋人


土曜日(2011/1/29)に高嶺格さんの「とおくてよくみえない@横浜美術館」を見に行ったわけですが、一番心を動かされたは「ベイビーインサドン」という作品。既に何カ所かで展示済みということのようですが、日常に埋没してしまっている腐りきった感性が久しぶりに震えたような気がしました。なんとかこれをトリガーに現代アート系に興味を持てるようになりたい。


後に高嶺さんの妻となる在日2世の女性「K」が発した「あなたのその、在日に対する嫌悪感は、なんやの?」という問いかけ。そこから始まる考え事と感情交換、しかも洞窟に住みながらってのが読まないと理解できないけど、まぁ「在日」みたいな話題を扱う作品は色々あれど非常に変わった手法、だけどすごく納得。


で、作品の中身というよりは人となりが気になるなぁと思って土曜の夜にカチャカチャしらべてたら本著、「在日の恋人」って日記風の作品を発見して発注、日曜(2011/1/30)には手元に届いて即座に読了という感じで意図せずして高嶺さん漬けな週末でした。(合間に、横浜西口古書祭りで関係書籍も買ってたりしまして。)


さて、李さんの丹波マンガン記念館の存在自体も相当気になりますが(これって有名なんでしょうか?関西に住んでるときに行けばよかった)、「ベイビーインサドン」という作品が形成されるプロセスが明らかになる本著なくして、あの作品は成り立たない気すらする。いや、そこを見えなくしてこその作品なのかな。


主体と客体を行き交いながら、考えるべき人が考えるべきコトについて考えると、こうも大量の副産物が生まれてくるのかと。よく分からないけどなんかそんな感想。考え抜くためには何かしらの表現が必要で、表現するためには考え抜く必要があり、これをループさせるプロセス自体を鑑賞するのが醍醐味なのかなぁ、と少しだけ芸術作品の味わい方が見えた気がした。


このまえ読んだ山口裕美さんの「現代アート入門の入門」の中で言及されていた「むしろ積極的に人や社会と関係を結ばなければ、現代アートの表現は出来ない。P.31」という側面については、本当にその通りなのがよく分かりました。本著を読んで思い浮かべる高嶺さんのイメージは、制作に没頭しているというよりは色んな人に無理目のお願いしたりとか毎晩よっぱらって暴れて、そして記憶無くしてるとことかですもんね。


あと文章の書き方というか文才というか凄いですね、アート系の人ならでの言葉の選び方が素敵でメモしたい言葉がたくさん、なんとも瑞々しい表現に溢れてます。開放ですね。


在日というか民族的なトピックって、どうしたって遠ざけがちな話ですが、まぁこれからそういう世の中でもないだろうし、よく考えればうちの奥さんだって中国生まれだったりするわけですが、そういった諸々に対する自分なりの解釈というかスタンスをどう段階的に組み立てていくか、鈍感な私が不幸にしてこれまでぶち当たっていない壁の探り方ぐらいは意識した方が良いかもしれない。


あんまり脈絡なさそうですが、なぜか藤代冥砂さんの「もう、家に帰ろう」を思い出したりしました。なんだろう、二人の生き様をどう切り取るか、的な観点が共通していると認識したのだろうか。単純に昨日横浜で田辺あゆみさんっぽい人を見かけた(前に横浜のヨドバシカメラに家族でいらっしゃったのを見かけた)からかもしれないけど。そういえば「もう、家に帰ろう2」が出るらしいですね、超楽しみ。


あと、暗闇な洞窟で音楽きくみたいな話が良く出てくるんですが、 id:mickmori さんがイギリスへ行く直前に我が家(当時、中野坂上)に泊まりに来たとき、鍋(ブリしゃぶ?)をつつきながら何故か部屋の電気を消して飲んでたのを覚えてる。あれは何だったんだろう、幻ではないと思うのですが。謎の続きは、翌日のランチがパークハイアットのニューヨークグリルだったあたりか。


メモ:

  • P.12 だんだんわかってきた。すべてを「国」の単位に絡めとっていこうとする圧力に対して、在日は強い反発をおぼえるものであること。在日の一世が、日本を政治的なターゲットとしているのに対し、Kら二世がより敏感に反応するのは、日本社会の隅々に巧妙に入り込んでいる「無意識としての国家」のようなものであること。Kは、アボジの感情を、こんなふうに自分の問題へと昇華させていた。


  • P.44 すべての芸術は音楽の状態を夢見る、その言葉が真実だと思い知らされる瞬間が、たまにあるのです。


  • P.80 李さんが少し照れながら「モーツァルト、聞く?」とCDを持ってくる。ここは谷になっているので、山の反響が素晴らしい。三人で、しばし残響音に聞き惚れる。ずっとここにいれたらいいのにな、という気持ちになる。


  • P.82 実は僕の恋人は在日韓国人なんです。彼女との交際で感じてきたプライベートな問題を、この坑道跡を借りて打ち出したい。そして、それを通じて、僕が生まれていなかった時代、歴史という僕自身のリアリティを広げることができるかどうか。いろいろな意味で試される仕事になりますね


  • P.100 しかし、山奥でビデオ編集しているという現代性は心地よい。


  • P.140 朝起きたら、車の屋根がヘコんで、水が溜まっている。上峰くんに「なんで?」ときいたら、呆れ顔でゆうべの惨事を話してくれた。車をお立ち台にして踊っていたそうだ。


  • P.144 いろんなことのあった一日だった。全部つながっているとは到底思えないが、つなげることに意味があるとも思えない


  • P.185 僕は子供が出来たことで、将来を「家族」という単位でイメージするようになった。そして時代は、すべての物事を地球単位で考えなければならない時を迎えている。自分の子をどう育てるかは今後の世界を直接に左右する。大袈裟でなく、そんな時代になった。