ライフログ入門

ライフログ入門

ライフログ入門


ライフログ関連の本は相変わらず玉石混淆ですが、美崎さんのアプローチは少し変わってますよね。文体含め個性が効き過ぎてますが、その実践レベルとしては群を抜いているような気もします。元々のモチベーションが記録魔ってのもあれですが、位置づけとしては、自らも比較対象にされてますが、ゴードン・ベルさんみたいに実践家で、必要とあらばツールも作ってしまう感じ。(それにしても生来のライフロガーってのは少し羨ましい、日記とか絶対に続けられない自分がライフログに興味があるってのは、なんか不自然な気すらしてしまう)


本書は、美崎さんなりのライフログの定義とか意義、活用方法などにひとしきり触れた後で、ご自身がライフワークとして取り組まれている実践的なライフログというかロギングの仕方とか、こんな風に活用できてますよというところまで踏み込みます。amazon単体みたいな「部分的な活用」を除けば、かなり革新的な内容が含まれているような気がする。


するんだけど何か物足りない感じがするのは、そこで組み上げられているシステムのインターフェイスが非常に前時代的というか未だ迷走中なためでしょうか。アトムというかタンジブルというか、特にフィードバックの系はもう少しそっちよりの方々の取り組み内容と混じってくると、また見え方が変わってくるはず。


ライフログって遙か先を行っている美崎さんであっても、このあたりまでしか来れてないのかという思いはぬぐいきれないが、2010年の大晦日に読んで、2011年の元旦からやるべきことが見えてきたのでとても区切りの良い一冊でした。


メモ:

  • 記録する、活用するといっても、人生の大半は瑣末でささいでありきたりで平凡な事柄の繰り返しだ。小学校の時の絵日記。中略。あれほど定型であったのに、その瞬間瞬間は光り輝いていないだろうか。中略。その他愛もない瞬間を、なぜ記録しなかったのか。いつそれは大切な瞬間に変貌したのか。P.2
    • 年末に小学校以来の友人とゆっくり飲んだ時に思ったんだけど、昔っからその価値を大切にしている友達もいるんだけど、当時はそうでもなかった友人の価値が今さらながらに分かってくることもあるんだな、と。まぁ、あんまり関係ないか。


  • ライフログとは、この月並みで特徴の見つけにくい凡庸な記録の山をヴィンテージの宝物に変える技術である。記録を見、過去を見ることは単なる回顧主義ではない。過去を踏まえて考えれば、今何をしたらよいかわかってくる。生活は便利になり生産性も上がる。人生とは何なのかを考えるようになる。P.3
    • この定義は数多あるライフログの定義の中で最も腹に落ちた。


  • スイスのソムリエは、ワインの勉強をするのに、そのワインを味わって感じたことを「言葉にする」といっていた。言葉に表現することで、何を感じていたのかを知ることができるのだというのである。暗黙知があるということに安心していては、ライフログシステムは生まれない。その暗黙知を可能であればすべて光の下にさらけ出し、明晰知(形式知)にする必要がある。P.100
    • そしてARとの絡みが出てくる。


  • 短期的な視点のビジネスでは、成功することが必要だから、理由はともあれまずビジネスとして成立することが重要となる。私はそうは思わない。問題はライフログであり、無意識を可視化することであり、なにを知っているか知らないかを知ることであり、人生についての新しい知見を得ることなのだ。特にパーソナルライフログと、このようなライフログビジネスでは、全く方向が異なっている。P101


  • 目的のないライフログ記録は、いざ活用しようとしても実用にならない。中略。重要なことは、最終的にそれをどう使うかというところまで視野にいれてライフログするかをデザインすることなのだ。P.136


  • 人生の大半は、ありきたりな日常の繰り返しである。そこをどう工夫するかが、ライフログの使い道である。ライフログシステムを作って使ってみて感じたことは、ログで雑事から解放されてラクになったということである。中略。細かい部分的なことの大半を、ライフログシステムに任せておけることによる安心感は、ライフログを始める前には気づかなかったことだ。P.174


  • 楽しい時を集めてみると人生を二度楽しめる。なんかいま落ち込んでるな、とか、つまんないな、というときに、楽しかったときの写真を見たり、そのときの日記を見ると、少しは気が紛れるためだ。つまらないテレビで時間をつぶしたり、愚痴りながら飲むよりも、少しは前向きな気がする。P.181
    • この使い方はとても効果的だと思う。ポジティブムードとネガティブムードをタイムリーにフィードバックするだけで、人生はそこそこ改善する気がする。


  • ライフログのシステムを使って過去を追体験していると、ときに、そのときには出来なかったことを実現している自分に気づくことがある。中略。ライフログを使って「わからなかった」過去に直面すると、分からなかった自分と分かっている自分とを、両方体験できる場合がある。過去の情報が詳細であればあるほど、分からなかった自分が、どこで躓いていたのかわかる。P.184
    • こういうのも、なんとなく記憶とか想像の中で繰り返すのではなく文章なり映像なりで明示的に記録することでその先に進めるはず。


  • ライフログのシステムはアクセス性が高いから頻繁に繰り返し体験できる。その結果、すべての体験は「いま」になる。いつでも追体験できる過去は、懐かしい過去とは呼べず、いまでもリアルな、せいぜい昨日のような体験に思えてくるのだ。「懐かしい」ではなくて、細部までリアルすぎて当たり前のように思えてくる。P.189


  • ライフログシステムを使っていると、なにかとなにかが繋がって出てくる特別な体験(セレンディピティ)は、1日に1回以上の頻度でおきるほど、ごく平易な体験である。P.202


  • 離れた位置から全体を眺め、そしてまた細部を様々な視点から見つめる。そのためには、やはり単純で部分的な記録だけでは不充分だ。すべてはつながっていて、分断したモノには全体への繋がりが欠けている。部分だけではだめなのだ。すべてはつながっている。ライフログで人生全体を記録しそれを再生すれば、それはもうひとつの人生になるだろう。P.205
    • いま生きている自分が認識しているのは所詮は部分に過ぎないのである、というニュアンスですよね。それを補完してより豊かな人生をというところが非常に意義深い。