ラー油とハイボール―時代の空気は「食」でつかむ (新潮新書)
ラー油とハイボール―時代の空気は「食」でつかむ (新潮新書)
- 作者: 子安大輔
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/05
- メディア: 単行本
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何故ここまでラー油とかハイボールが流行るのか。。。私にとっては飲食業界って身近な割に素朴な謎につつまれていることがとても多い。最終的にはそれだけ人間くさい領域である、ということなんでしょうけど、身近な不思議を明快に解き明かしてくれる1冊です。
本書でも述べられているように「ずらす」ことはとても面白くて、飲食の話を聞いているのにRFIDのビジネスに対しても非常に示唆的な内容が盛りだくさん、あっさり読める割に気づきの多い素敵な本でした。
飲み放題が儲かる理由、紅茶専門チェーン店がコーヒー店ほどには増えない理由、居酒屋で鍋料理ばっかり増える理由、どれもよく考えればそんなに難しい問題ではないんだけど、いかに自分が無頓着に生かされているかを痛感しますね。いかんいかん。
メモ:
- P.29 極端に言えば「奇跡のリンゴ」を購入する人は、リンゴとともに木村さんの人生論や人生哲学までをもしみじみと味わっているというわけです。
- 近々、RFIDタグの小売りにチャレンジしてみようと思うのですが、日々の実験内容とリンクすることで何とか訴求できないものかと考えております。
- p.41 新しい商品やサービスを考える際に、「なのに」を使うことは極めて有効なのです。「○○なのにポケットに入る」「○○なのにおなかいっぱいになる」「○○なのに身体にいい」
- P.51 あえてターゲットやシーンなどを「狭める」ことで、むしろ伝えるべき本質が明らかになり、独自のポジションを確保することにつながるとうケースもあるのです。ex.ワンダモーニングショット、13歳のハローワーク、男前豆腐
- こんなこと面白いと思うのは自分だけだろうな、と思った瞬間がチャンスということか。
- P.60 この「モノがなければならない」という呪縛から少しでも解放されることによって、今とは違うスタイルの生産や消費のあり方がみえてくるのではないでしょうか。
- P.78 モロッコ料理が「程よいニッチ」なのに対して、タンザニア料理は「ニッチすぎる」状況ということができます。
- P.86 何気なくセットで語ってしまうこれらに対して、丁寧にその違いを読み解いていくことは、新しい「気づき」を生むことに繋がるのです。ex.囲碁と将棋、野球とサッカー、自動車とバイク、映画と音楽、新聞と雑誌、派知紺と競馬
- P.99 ゼロから全くの新機軸を生み出すことは出来なくても、商品の属性やコンセプト、ターゲット、シーンなどを「ずらす」ことによって、これまでになかった価値を提案したり創出したりすることは十分可能です。
- P.111 鍋がお客に指示されるキーワードは「コミュニケーション」。店側からすると、味の安定性、人件費と原材料費を抑えることによる収益性の向上、結果、多店舗展開しやすい。
- P.121 多くの飲食店では、技術や経験の少ないアルバイトスタッフだけでも成り立つことを前提に、提供する料理やサービスを組み立てるようになっています。
- P.130 職場のコミュニケーションがクールになったり、フリーで働く人が増えたりすると、人とリアルに繋がることに対する飢えが、これまで以上に強くなるのではないかと思います。そんな「人とつながりたい」という欲求に対して、飲食店という「場」が改めて重要な役割を果たすようになると考えられます。
- P.142 スピードが何より重視されている時代に、中略、「丁寧に」仕事をするというのは、受け手のことを強くイメージして、彼らの満足のために細部までこだわることに他なりません。同時にそれは自分の仕事に対する自負そのものでもあるはずです。
- P.160 私たちの周囲に存在する「欠乏感」とどう付き合っていくのかは、非常に難しく、かつ重要なテーマなのかもしれません。
- P.175 「ハレのパン」。原材料や製法、そして包装などに徹底的にこだわることで、華やかなシーンにふさわしいパンを目指しているのです。お母さんの誕生日にパンを贈る。大切な友人とのパーティにパンを取り寄せる。「自分へのご褒美」にパンを買う。
- パンをRFIDタグに置き換えたいw
- P.180 「単純な言葉で、もっともらしく語られるものの中に、真実はない」という先人の言葉があります。確かにそれらしく類型化して分かった気になってしまうことで、その枠組みだけではすくいきれない肝心なものや、変化の兆しを見落としてしまう危険性があるはずです。中略。言葉の力は侮れません。ありがちあな言葉を繰り返し使うことで、自分の思考パターン自体が単純化したり、類型化したりしてしまう危険性は常に強く意識すべきです。
- P.183 あらゆる領域において、効率化という名の省略化が進みすぎているようにも感じます。時間と手間を必要以上に省くことで、何か大切なものまでをも同時に除いていたり、損なっていたりする可能性にも、時には思いをはせてみるべきだと思うのです。