中国路地裏物語ー市場経済の光と影ー

中国路地裏物語―市場経済の光と影 (岩波新書)

中国路地裏物語―市場経済の光と影 (岩波新書)


たまたま立ち寄った横浜西口古書祭りにて購入。


Amazonマーケットプレイスとかは良く使うけど、リアルな古本屋とかあまり行かないなぁ。本書もそのカテゴリだけど、最低価格に関してはネット上の古本のほうが安い。一方で、あんまり流通してなさそうな本を、その価値も理解されない状態で古本屋においてある場合は、ネットで買おうと思うとかえって高かったりする。場合によってはプレミアのついてる掘り出し物も。古本屋めぐりって、そんな楽しみもあったんですね。


余談ながくなりました。


煽り系のタイトルが蔓延る昨今、珍しくタイトル通りの内容でした。90年代が中心なので少し前の話にはなるのですが、市場経済化された中国で何が起きているのか。色んな階層へのインタビュー記事が中心ですが、光の部分と影の部分、両方をあぶり出せるように取材対象がバランス良く振り分けられていますね。


私が初めて中国にいったのは2004年末でしたが、そのコントラストの高さと隣接性に非常に衝撃を受けました。真新しい超高層ビルのすぐ裏手には古びれたマンションの窓から物干竿が大量に飛び出ていて、無数の洗濯物が干されている。たまに魚とか毛のむしられた鳥なんかも一緒に吊るされていたり。


その後、何度か訪問を重ねる度に景色が変わり、その急成長振りに驚くとともに、影の部分が都市部においては薄まっていくのを感じて切なさを感じたりもしたものでした。


そんな切なさを楽しめればぐらいで手に取った本書でしたが、意外にも示唆的な部分が多くてびっくり。


「単位」ってのは都市部の住民が(当然公務員として)所属する職場、勤務先のことなんですが、定年退職後もそこを離れず年金の支給を受けるのはあたりまえで、社宅や食堂、病院や学校なんかも持っている。個人情報も管理されていて、結婚/教育/出産/就職など、すべてが単位ベースで管理されているわけです。


単位に入ってさえいれば何とかなる。逆に、単位に入ってないと住むところも見つけられないし最低限の福利も得られない。配給制の時代においては食料すら得られない。なんだけど、市場経済化が進むに連れてそこを離れてみる人も増えてきた、という話。


多くの人が、このまま単位に所属してはいけないと思いながら、そのリスクを許容できない。そして長期的には市場経済化の恩恵を受けられないし相対的に苦しい生活になっていく。


これって、日本だと大企業に所属して辛い思いをしてる人と同じ境遇?とか想像してしまいましたw。


現在の家庭環境の構成上、中国文化を強く意識せざるを得ない日々な訳ですが、語学的なハードルはともかく、無知を自覚して少しでも知ってくことが大事ですよね。


写真は初めて南京にいったときに食べた適当な火鍋。美味しかったなぁ。


メモ:

  • P.17 「この人、思いつきの数字を言っている。私をいじめるのが目的だ。紅眼病だ」と何さんは思った。紅眼病とは、人をねたむことで、このころ流行語になっていた。
    • 紅眼病、というボキャブラリーを使ってみよう。


  • P.57 しかし、庶民はハリウッド映画の面白さに気付いてしまった。なんとかして見たい。そこで、ビデオやレーザーディスクをこっそり輸入し、小さな集会場や劇場で上映することになった。
    • みんなでみるのとか、なんとなく微笑ましい。裏で金儲けの話はあるにしても、パーソナライズとソーシャライズとを考えさせられる。


  • P.66 「(米国に着く)ほんの3ヶ月前、天安門広場に立っていた」という筆者は、「群集の高不運、ハンスト学生の悲壮な様子、スローガン」を頭の中に充満させて訪米、そこでビールやアイスクリームを手に、笑い歌う陽気な米国人学生の姿を見て「衝撃を受けた」と書いている。


  • P.77 80年代後半から問題になっている台湾、日本への出稼ぎ船の乗客のほとんどは、福建省の人たちだ。そして、香港への移民、出稼ぎ強盗のほとんどが、広東省の人である。華人・華僑の大半が、この二つの省の出身者であることを考えると、両地域の人が、とりわけ海外に出ることに積極的であることがよくわかる。


  • P.195 事故にあった被害者に、同情心で手助けをすると、逆に「この人に責任がある」と言って、金を請求されるケースが後を絶たない。入院するのに、数万元の前金が必要だが、用意できなかったため、病院に運び込まれたのに受付に放置され死んでしまった中国人がいる。


  • P.199 「文革のころの苦労と比べれば、市場経済に伴う厳しさなんて、たいしたことはない」


  • P.200 大陸に住む人たちの大雑把さ、よく言うなら「おおらかさ」の後ろに、そうならざるをえない荒々しい風土と社会、あるいは政治環境の厳しさがあるのではないかと考えた。