科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)
- 作者: 内田麻理香
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2010/04/15
- メディア: 新書
- 購入: 14人 クリック: 528回
- この商品を含むブログ (32件) を見る
【この本を手に取った理由】
Discover21の電子書籍で購入。
いつも時間がかかってしまう「読んだ本からメモを抜き書きする」という作業の省力化のために、もう電子書籍しか買わない、という方針はどうだろうかと思い、なんとなく電子書籍から読みやすそうな一冊をチョイス。という不純な理由。
コピペ出来るしインデックス付けやすいし、抜き書き作業の省力化という当初目的は達成されました。
内容的には、想定外に示唆的な多くて大満足な一冊でした。
【サマリー】
サイエンスコミュニケーターであるところの著者が「科学のススメ」について様々な角度から説得を行う本書。
疑似科学と見分けを付けるためにも、より豊かな生活を送るためにも、私たちはもっと日常生活の中から「科学」について興味を持たねば!とか、あまりにも文章が読みやすいのでアッサリ説得されてしまいます。
そもそもサイエンスコミュニケーターなんてポジションがあることにまず驚きましたが、なんで科学アレルギーになってしまうヒトが多いのか、その弊害を見越した公共団体によるサイエンスコミュニケーション政策が何とも的外れというか物足りないものであるかを自己反省的に書かれていて、ますます高感度upですよね。
ファインマンさんあたりから読んでEnjoy Scienceを初めてみようと思ったりしてしまった訳ですが、何より面白かったのはNFCとの関連性。
科学の楽しさを世に伝えること、NFCの楽しさを世に伝えること。似てる部分もそうじゃない部分もありますが、関連づけて読むことで楽しめました。本書の一部を書き換えて私自身のミッションステートメント風にすると、
「人々の生活の持つ『意味の織物』、そこにNFCの『糸』を織り込むと、より多様な織物になる。NFCの糸がないときとは違う色合いの織物ができ上がる」ということを表現したい、というのが私の野望です。
という感じになります。素晴らしい。
【メモ】
- P.32
とすると、彼ら・彼女らは、もともと「完全に科学が嫌い」だったわけではないのではないか?でも、いったい「どこ」でそのきっかけが生まれてしまったのだろうと、ぜひ聞いてみたくて、アンケートをとることにした次第です。 その結果、目立った回答のパターンは、次の3つでした。
1 こんな勉強をして、何の役に立つんだ
2 理系科目の勉強は苦痛
3 教える人がきっかけで、嫌いになった
- P.69 「科学のキーワードを、身近な出来事と結びつける」ということ。先ほどの例でいうと「界面活性剤」という科学のキーワードを、マヨネーズ、洗剤、パスタのゆで汁……などに結びつける、ということになります。 普通に暮らしていると「現実のワタシ」が「科学」と関係がある、なんてことに思い至りません。でも、身の回りの出来事が科学のキーワードと結びつくということがわかれば、「現実のワタシ」と縁遠かったはずの「科学」との距離が少し近づくのではないでしょうか。
- P.85 実際、現在のように双方が発達すると、科学と技術はボーダーレスになっていきます。自然の加工としての「技術」には自然の認識である「科学」が不可欠ですし、一方で「科学」として自然を認識するためには、自然を加工した高度な「技術」が必須、というようにです(たとえば、素粒子物理学の分野1つとっても、新しい成果のためには加速器の進歩が鍵を握っています)。
- P.124 よく、科学者に必要な資質として「運・鈍・根」があるといわれます。 「運」は文字どおり、自然の女神が微笑みかけてくれるかどうかによるところが大きいということです。 後者の「鈍」と「根」については、先ほど述べたように、「鈍感で、根気強く考えつづける」という資質、つまりボーダーラインを広くとって、問題を考えつづける忍耐力のことを指しているのだと思います。 これができる人は、「一見、頭が良く見えるタイプ」とは対極に位置しています。
- P.155 権威化・教条化した科学は、「偉そうなもの」として私たちの上に君臨します。科学の雰囲気をまとった言葉は、私たちのもとに「思考停止ワード」として届きます。 たとえば、「イオン」「波動」「エネルギー」という言葉を聞くと、疑うどころか考える気もそがれて納得してしまいそうになりませんか? 「ゲルマニウム」「ヒアルロン酸」など元素名・物質名が商品説明に入っていても同じだと思います。
- P.176 小説を読んで気持ちが軽くなることがある。音楽を聴いて心が癒やされることもある。科学にも、そんな「利用法」があってもいいのではないでしょうか。
- P.204 ただ、私が言いたいのは、このように科学技術を、正統的な科学技術だけに限定して囲い込み、象牙の塔に入れてしまうということ自体が、世の中の感覚からかけ離れているのではないか、ということなのです。
- P.229 そこで、「科学リテラシー」のもう1つの必要性の根拠として提示したいのが、「見えない科学技術の存在を知る」、そしてその先にある「見えないものが見えるようになる」という考え方です。
- P.240 「科学と人間のディスコミュニケーション」が露わになってきた現代だからこそ、ここから「道具と人間」のかかわり方をとらえ直すことができるのかもしれません。人間は今、科学技術をどう扱ったらよいか、とまどっている。その「今」を認めることなしに、ディスコミュニケーションからコミュニケーションに向かえないのではないか。そう自分に言い聞かせてみます。
- P.256 しかし、国民の科学技術離れを懸念して推進されている国の対策は、この「科学技術マニア」に向けられたものが中心となっています。この数年で、サイエンスコミュニケーション活動が活発になってきたといわれ、双方向型のサイエンスカフェの実施回数も増えています。ただ、その認知度はどのくらいでしょうか。今この本をお読みの皆様の中でも、サイエンスカフェを知っていた、という方は少ないのではないでしょうか。
- これこれ。もっと普通の人が普通に楽しめるNFCってのを考えていかねば。