訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)

訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)


(敬愛する)山形浩生先生がこれまでに訳されてきた書籍の中から訳者あとがきだけを抽出して1冊の本にしてみました、なんていうマニア向けの本書ですが、あとがきのあとがきでも書かれてるように「訳者の名前で本が売れる」ってのは確かにありますよね。


現時点の自分の教養レベルを考えると、どの本も山形さんの解説無しには著者の真意を読み取るどころか、字面すら読み切れないところがあります、正直。本文を読んでて理解できずに諦めそうになったときに解説の方に逃避して何とか持ち直す感じ。長期的には底上げのための施策必須なんですが、なんかまぁ、軽やかな論調に乗せられて分かったような気になってしまいたくなるあたり、さすがの山形マジックですね。(結局わかってないんじゃ意味ないけど)


山形先生のような視点で物事を考えられるようになるためには、どんなトレーニングを積んでいくべきか、むしろ息子の視点で考え直した方がいいのかもしれないなぁ。


「ITと英語と会計」とか、そういう話じゃなくて本当に身につけておきたい何かがあるんですよね。日本語で「教養」と言ってしまうと、それは何かニュアンスが変わってしまう。バザールに出て色んな人と混じり合って、その何かを感じ取り、その蓄積に努めていかないといけないわけよなぁ。


それにしても解説だけでお腹いっぱい、いまさら原著に戻る気になれんよ。


めも:

  • ぼくは多くの人にとっての「読む」というのが、書かれていることを読んでその論理を頭の中で再構築して理解する、とうことではないんじゃないかとにらんでいる。多くの人は、ことばの出現頻度と語調にしか反応していないようだ。そしてそれを、何か自分が既に知っているお話のパターンに何とか落とし込みあてはめるのが「読む」ということらしい。そして、結論はその既知のパターンに沿ってしか理解できない。ただその既知のものが再確認されたことで「わかった」ような気がして、そこにいくつか出てきた単語の後光が何となく張りついて、ばくぜんと目新しいようなイメージだけが残る。そんなのが多くの人にとっての「読む」ということだ。P.10


    • むむ、この「わかったつもり疑惑」の話自体を「わかったつもり」になっちゃってるような気もするけど、そんなこと言ってたらキリがないか。自分が「わかった」かどうかを試すためにも、やっぱりoutputは必要なんですね。いろんな人に話してみよう。




  • みんなそれさえ言えば上がりだと思っているような各種概念がある。自由、人権、民主主義、平等、平和、人名。でも、このいずれも無限の価値がある訳じゃない。ぼくたちは、生活のために自由を金で売り渡す(雇われるとはそういうこと)。中略。自分が依拠する概念が本当にその文脈で全面的に頼れるのかを少しでも考えた様子のないものは、その概念を使う文脈でもあまりきちんと詰めた議論ができていない場合が多いように思う。P.23


    • 確かに、ある。RFIDに限らずソリューションセールス系の人で、上滑りというか軽すぎて聞いてるこっちの方がヒヤヒヤしてしまうことがある。




  • ここに「自由」の萌芽がある。ここで述べているのは、パブロフの犬みたいな条件付けではある。でも、それまでの動物は千回教えても、遺伝子の命令通りにしか動けなかった。後天的な条件付けが可能だ、というのは行動の幅がすさまじく広がったということでもある。生物はこの段階で、遺伝子やその他のすり込みの通りに動くか、あるいは後天的な条件付けに従うか、という選択の余地を持ち始めている。そしてそれは、実際にやってみてその結果を利用する、という一番原始的なシミュレーションが可能になり、それができるおかげで環境への受難な適応も可能になり、危険を回避したりして長生きできるようになった。中略。シミュレーションをもっと高度化したのがコミュニケーションの誕生だ。みんなが「実際にやってみる」ならそれは前と何も変わらないけど、やってみたシミュレーション結果を伝えて共有して比較出来れば、種や群全体としての可能性はもっと増える。P51


  • ぼくたちは人生の自由の一部を会社に売り渡すことで、衣食住その他に関するかなりの自由を手に入れている。こうした各種のトレードオフが理解できてそこから自分にとって最大の価値があるものを選べるのがぼくたちの自由だ。動物はそこで本能のままに動けるけれど、それは正確には動けるのではなくそれ以外の行動が取れないだけだ。衝動に身を任せて後悔するのが人間であるなら、衝動に身を任せられず後悔するのも人間だ。その後悔や無念さは、ぼくたちが自由であることの裏返しなのだ。P73


  • 過去に誘惑にたくさん勝ったという自信があれば、長期の利益も実現できそうに思えて、期待値はあがる。すると誘惑は小さく見え、我慢するのも楽だ。人は、自分の意志力について過去の実績をもとに見積もりをする。その見積もりは、自分が誘惑に耐えて長期の利益を実現できるかという見通しに影響する。P93





  • ルール(強い意志)にしたがって何かをやるのは、往々にしてその行為自体の喜びを奪ってしまう。腹が減っていないのに、一日三食というルールを守るために食事をしたり。中略。結果が予想できないといことがしばしば満足度に大きく影響する。P.96


  • ぼくたちがいずれ、進化や生態改造など何らかの手段により完全な指数割引を備えるようになり、あらゆる場合に計算と合理的な判断が出来るようになったら(そのときはもはや意志は存在する必要がなくなり、人間は人間であることをやめるだろう)本書はそう示唆する。P104


  • 先進国の多くの人々は、温暖化議論や排出削減が、なにやら優雅なライフスタイルの問題だと思っている。みんなちょっと自動車を控えましょうとか、ちょっと電気を消しましょうとか、裏紙を使いましょうとかスローライフとか。でも実際はちがう。それは社会全体に対し、もっと失業者を増やせとか、もっと早死にしろとか言うに等しい話だ。P.219


  • 先進国のぼくたちは買い物をする時に市場価格というより明記された値札があるのに慣れすぎているため、この両者(主観的価値と市場価値)がちがうものだということすらなかなか認識できなくなっているということだ。途上国では、往々にして商品に「定価」はなく、市場では価格交渉が必須となる。「この絨毯、いくらなら買う?」と言われた時に、自分の主観的価値をしっかり持っていれば、それ以下の値段ならいくらでもハッピーなはずだ。P272


    • 主観的価値と市場価値、節約という概念との関係性について考えてみたいなと。




  • 知的財産を保護するのは、その利用を促進するのが目的だったはずだ。P317


  • 世界は解決されるべき面白い問題でいっぱいだ。まだ開墾されていないノウアスフィアはいくらでもあるし。P348